

こんにちは、赤穂城を案内する旅むすめの染井さくらです。この記事ではお城のガイドやお城の周辺観光なども紹介させてもらいます。よろしくお願いします♪

赤穂城のワンポイントは[忠臣蔵ゆかりの城、本丸庭園と二之丸庭園、複雑な縄張り、赤穂塩と温泉の町]となっています!
基本情報

赤穂城は江戸時代前期の城です。赤穂藩主・浅野長直が慶安元年(1648)から築城して寛文元年(1661)に完成しました。
浅野家は赤穂藩の藩主としてこの地を治め、塩田開発などを通じて赤穂の発展にも関わりました。のちに浅野長矩の時代、元禄14年(1701)に江戸城松之大廊下で刃傷事件が起こります。これにより浅野家は改易となり家臣たちによる討ち入りは「赤穂事件」や、後世の物語である「忠臣蔵」として広く知られるようになりました。
浅野家の後は赤穂城には永井家、森家が入り、江戸時代を通じて赤穂藩の政治拠点となりました。関ヶ原の戦いそのものの舞台ではありませんが、徳川政権下の大名支配の中で築かれた近世城郭です。
幕末まで藩の中心として使われた赤穂城は明治維新後に廃城となりました。現在は赤穂城跡として整備され、本丸門や庭園、御殿跡などが復元・整備されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 兵庫県赤穂市上仮屋 |
| 築城年 | 慶安元年(1648年)〜寛文元年(1661年) |
| 築城主 | 浅野長直 |
| 主な出来事 | 赤穂事件(城明け渡し) |
| 主な城主 | 浅野氏、永井氏、森氏 |
| 重要遺構 | 本丸門・庭園(復元)、大石内蔵助邸長屋門(現存)、天守台、石垣、堀 |
| 別名 | 加里屋城(かりやじょう)、大鷹城(おおたかじょう) |
| 日本100名城・続100名城番号 | 日本100名城 第60番 |

赤穂城は日本100名城60番に選ばれているお城で、年末の風物詩「忠臣蔵」の舞台としても有名なお城です!大石内蔵助が敵討ちに行く前吉良を油断させるため京都祇園で遊興にふけり、敵を油断させたという有名な逸話もあります♪
どんな城

赤穂城は兵庫県赤穂市にある瀬戸内海付近に築かれた平城です。山の上に築く城ではなく堀や石垣、複雑に折れ曲がる通路で守りを固めた近世城郭となっています。
かつては海城だったため水運や海辺の地形を意識した城づくりも見どころになります。
城内は本丸、二之丸、三之丸を中心に構成され、現在は本丸門、本丸庭園、二之丸庭園、石垣、堀、天守台などを見学できます。天守台は築かれましたが天守は建てられませんでした。
また大きな特徴として折れを多用した実戦的な縄張りが採用されています。赤穂城の通路や石垣が直線的ではなく複雑に曲げられており、敵を正面だけでなく横からも攻撃できるように工夫されています。

赤穂城は別名「加里屋城(かりやじょう)」や「仮屋城」とも呼ばれています。加里屋は赤穂城が築かれた地域の古い地名に由来していて、浅野長直が現在の赤穂城を築く以前にもこの周辺には加里屋城と呼ばれる城郭がありました。現在も赤穂市には加里屋や上仮屋といった地名が残っています!
赤穂城さんぽ

三の丸です。大手門を抜けて三の丸エリアに入ると、視界が開けた開放的な空間が広がっていました。
整備された平坦な道が真っ直ぐに伸びており、かつては重臣たちの屋敷が立ち並んでいた場所です。

赤穂城大石神社です。大石内蔵助をはじめとする赤穂四十七義士と、討入りに加われなかった萱野三平を主祭神として祀る神社です。
神社の創立が正式に認められたのは明治33年(1900年)で、大正元年(1912年)に現在地へ鎮座しました。
見どころは忠臣蔵に関する貴重な品々を展示する義士史料館です。大石内蔵助が討入りで使用したと伝わる采配や呼子鳥笛をはじめ、堀部安兵衛の鎖頭巾・鎖帷子などが展示されています。また、著名な彫刻家が一体ずつ制作した四十七義士、浅野内匠頭、萱野三平の木像も見応えがあります。
またこの日は立派な鳥居の先に続く参道でバザーが開催されて地元の人々で賑わっていました。

水堀です。城をぐるりと囲む水堀はかつての強固な縄張りを静かに物語っています。
築城当時の赤穂城は南側が瀬戸内海に近い海城で水手門付近には船着場も設けられていました。
そのため水堀は城内への侵入を防ぎながら、水運とも結びついた赤穂城を象徴する施設だったようです。

大石内蔵助像です。赤穂城、赤穂浪士と言えば忠臣蔵が思い浮かぶ人も多いかと思います。その中で中心人物の大石内蔵助の像です。
忠臣蔵は藩主の浅野長矩が江戸城で吉良に斬りかかり、即日切腹、改易(領地没収)となった事件を皮切りに物語が動きます。
主君と職を失った赤穂浪士の大石内蔵助らは浅野家再興を目指したが実現せず、のちに吉良邸へ討ち入り、吉良を討ち取りました。しかしその後赤穂浪士46人が切腹を命じら執行されました。
この大石内蔵助らは主君への忠義を貫いた物語が後世に語り継がれ、やがて忠臣蔵として広く知られるようになりました。

大石頼母助屋敷門です。かつての家老屋敷の跡地に建つ、白漆喰の壁の長屋門です。
黒い瓦屋根と真っ白な壁のコントラストが目に鮮やかで、当時の武家屋敷の格式の高さを視覚からダイレクトに伝えてくれます。
周辺は江戸時代の面影を色濃く残す静かな雰囲気なので、タイムスリップしたような気分でじっくりと見学を満喫できます。

二の丸です。本丸を囲むように広がる二の丸エリアは視界が開けた開放的な広場となっています。
かつては藩の重要な施設があった場所で、現在は周囲に復元された白壁の土塀や門が点在しており、かつての城郭の広大さを実感しながら散策できるエリアとなっています。

西仕切門です。赤穂城の二之丸は低い石垣と土塀によって南北に区切られており、西仕切門はその境に設けられた小さな門でした。
城外へ通じる大手門とは異なり二之丸内部の区画を管理し、人の行き来を制限する役割を担っていたと考えられます。
発掘調査によって門の礎石などが確認され、簡素な造りの棟門だったことが判明しました。現在の門は発掘成果に加え本丸東側にある東仕切門や姫路城の門などを参考に復元されたものです。

二の丸庭園です。復元された大名庭園で水際を縁取る石組みや、池に架かる風情ある橋がかかっています。
和やかな風景を眺めながら歩いていると、江戸時代の藩主と同じ景色を見ているような不思議な感覚に陥ります。もしかしたら大石内蔵助ら赤穂浪士たちも同じような風景を眺めていたのかもしれないですね。

城内です。見通しの良い平坦な道が真っ直ぐに伸びる一方で、敵の侵入を防ぐために通路がクランク状に折れ曲がっている横矢掛かりの構造が確認できます。
赤穂城は近藤正純が縄張を担当し、山鹿素行の意見も取り入れられたとされています。その縄張りは直線的な四角形ではなく折れ曲がった塁線や鈍角を多用した複雑な縄張が特徴です。
赤穂城は忠臣蔵の舞台というだけでなく、戦争がほとんどなくなった江戸時代に戦国時代の軍学思想を反映して築かれた城でもありました。

石垣です。表面が平らに加工された石がパズルのように隙間なく積まれていて、江戸時代に築城された赤穂城ならではの高い土木技術が肌で感じられます。
赤穂藩は石高約5万石ですが、長直が作らせた赤穂城はなんと10万石クラスの大名が持つような巨大な規模でした。
当時の城は権威の象徴としての役割が強くなっていましたが、赤穂城は「大砲や鉄砲の死角をなくす」ために稜堡式に近い形をしています。このことからも平和な時代にガチガチの実戦仕様で作られましたことが伺えます。

本丸門です。本丸の正面入口にあたり外側の高麗門と内側の櫓門を組み合わせた門で、平成8年(1996年)に復元されました。
高麗門をくぐると進路を直角に曲げなければならない虎口となっていて、侵入した敵を周囲から攻撃できる仕組みでした。

厠口門です。本丸の東側に設けられた門で浅野家の時代には厩口門、のちの森家の時代には台所門と呼ばれていました。
本丸門に比べると小規模ですが本丸と二之丸を結ぶ出入口の一つとして使用されていました。

本丸です。現在は広場となっていますが本丸御殿の間取りが地面に原寸大で再現されています。
ちなみに赤穂城を築いた浅野長直は松之大廊下で吉良上野介に斬りつけた浅野長矩の祖父です。浅野長直が赤穂へ移された背景には前藩主・池田輝興の改易がありました。
池田輝興が正室らを殺傷する事件を起こしたため、正保2年に改易され、常陸笠間藩主だった長直が赤穂へ転封されました。つまり浅野家の赤穂入りは、当初から予定されたものではなく、前藩主の事件によって急きょ決まった人事でした。
一人の藩主が起こした事件が、後の忠臣蔵の舞台となる浅野赤穂藩を誕生させたというのが感慨深いですね。

城内です。こちらも本丸ですが石垣や狭間の様子がわかります。
江戸城で松の廊下跡を見てからこの赤穂浪士の本拠地へ足を運んだため、歴史の舞台を繋いで歩くことで色々と考えさせられました。

本丸庭園です。御殿跡の奥に広がる池泉式庭園で、大きな池の周囲には石組みが配置され、背後にそびえる白壁の塀や木々の緑が見事に調和していました。
大石内蔵助というと討入りの指揮官という印象が強いですが、赤穂城内では上席家老として藩政を担っていました。
浅野長矩の切腹と改易が伝わると藩士を城中へ集めて協議し、藩札を正貨と交換するなど城下の混乱を抑える対応を進めました。
藩が消滅すれば藩札は紙くずになる恐れがあります。そこで回収・交換を進めたことは、藩士だけでなく商人や領民の生活を守る措置でした。
大石内蔵助が最初に守ろうとしたのは、主君の名誉だけでなく突然藩を失った赤穂の人々の暮らしだったようです。
大石内蔵助はこの庭園で思案を巡らせながら藩の行く末を考えていたのかもしれないですね。

天守台です。見上げるほど高い天守台ですが赤穂城に天守が建てられた記録はありません。
これは建てた天守が焼失したのではなく、最初から天守台だけで終わった城です。
幕府への遠慮、財政的な事情、すでに天守を必要としない時代だったことなどが背景として考えられますが、建てられなかった理由は明確になっていません。

天守台の上です。天守台へ続く石段を登りきると、天守閣の1階部分に相当する平坦な広場に出ました。
広くはないですが風を遮るものがないため上空を吹き抜ける風がとても心地よいです。天気のいい日は絶景を見ることができます。

かつては赤穂城のすぐ南側まで瀬戸内海が広がっていたため、船が城内に直接出入りできる海城としての機能も持っていました!埋め立てによって海岸線が遠ざかったため、現地だけを見るとわかりにくいですが、城としては船による移動や物資輸送も意識した雰囲気を楽しむこともできます!
城周辺さんぽ

赤穂駅です。武家屋敷を思わせるような三角の瓦屋根と白壁がとても雰囲気いいです。
2階には観光案内所が併設されており、散策前の情報収集やマップも入手することができます。

赤穂駅前に立つ大石内蔵助像です。台座には、赤穂義士の忠義の精神を表す義魂の二文字が刻まれています。
討入りを指揮した大石内蔵助の姿は、忠臣蔵の町・赤穂を訪れた人を迎える象徴的な存在となっています。

忠臣蔵の書道です。赤穂駅構内に飾られていましたが、やはり赤穂といえば赤穂浪士の忠臣蔵だなと、この地が持つ歴史の重みを改めて実感します。
窓ガラスからは駅前のロータリーや市街地を一望でき、これから歩く街並みの方向を確認できました。

夢工房です。店頭には「あかし玉子焼」や「大黒堂の福玉焼」のメニューポスターが並んでいました。
こちらは明石のお店ですが、やはり明石といえば名物明石焼きですよね。

明石焼きです。10個の丸い生地が綺麗に並べられて提供されました。
こんがりと焼き色のついたフワフワの見た目から、熱々の湯気とともに卵の優しい香りが漂ってきます。
添えられたお椀には透き通った黄金色のお出汁がたっぷりと注がれ、刻みネギの小鉢もセットになっていました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 明石夢工房 魚の棚店 |
| 金額 | あかし玉子焼(明石焼き)10玉 700円前後〜が目安 |
| 所在地 | 兵庫県明石市本町1丁目3-18 喜楽ビル102 |
| アクセス | JR・山陽電鉄「明石駅」から徒歩約3分/魚の棚商店街周辺 |
| 連絡先 | 078-962-8548 |
| 営業時間 | 10:00〜18:00 |
| 定休日 | 火曜日 |
| 見どころ | 明石名物「あかし玉子焼(明石焼き)」を味わえるお店。ふんわりした玉子生地と出汁で楽しむ明石らしい一品で、明石城や魚の棚商店街散策と相性のよい立ち寄りスポットです。 |

ひできよラーメンです。
豚骨ラーメンを中心に中華そばやチャーハン、餃子などを味わえる地元密着型のお店です。

ラーメンとチャーハンのセットです。
豚骨スープの表面には黒いマー油のような油が浮かび、大きなチャーシュー味玉、もやし、青ネギがトッピングされていました。
またセットのチャーハンは、お米の粒に卵や細かな具材がしっかり絡んだパラパラの仕上がりでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | ひできよラーメン |
| 金額 | ラーメン類 1,000円前後が目安 ※メニュー・価格は変更の場合あり |
| 所在地 | 兵庫県明石市林崎町3-482 |
| アクセス | 山陽電鉄「林崎松江海岸駅」から徒歩約3〜5分 |
| 連絡先 | 078-923-2288 |
| 営業時間 | 11:00〜14:30(L.O.14:10)/17:00〜20:30(L.O.20:10) |
| 定休日 | 水曜日・第3火曜日 ※臨時休業あり、スープ切れ終了の場合あり |
| 見どころ | 明石・林崎エリアの人気ラーメン店。豚骨系を中心に、黒・赤・白などバリエーションのある一杯が楽しめ、明石観光の食事候補に入れやすいお店です。 |

ご当地グルメの明石焼きはそっと持ち上げて出汁にたっぷりくぐらせると口の中でとろけるような熱々の食感を堪能できて美味しかったです!ひできよのラーメンとチャーハンのセットも美味しかったです~☆
100名城スタンプと城アクセス情報

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 設置場所 | 赤穂城本丸櫓門下/赤穂市立歴史博物館内 |
| 設置時間 | 本丸櫓門下:9:00〜16:30(入園16:00まで)/赤穂市立歴史博物館:9:00〜17:00(入館16:30まで) |
| 休日 | 本丸・二之丸庭園:年末年始(12/28〜1/4)/赤穂市立歴史博物館:水曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始 |
| 電話番号 | 0791-43-6962(赤穂市教育委員会文化財係)/0791-43-4600(赤穂市立歴史博物館) |
| 料金 | 赤穂城跡は無料。赤穂市立歴史博物館を見学する場合は別途入館料が必要 |
| 備考 | スタンプは2ヶ所設置。年末年始(12/28〜1/4)は赤穂市立歴史博物館玄関前に設置されます。 |
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 兵庫県赤穂市上仮屋 |
| アクセス | JR「播州赤穂駅」から徒歩約20分/山陽自動車道「赤穂IC」から車で約10分 |
| 駐車場 | 無料駐車場あり(赤穂城跡周辺・歴史博物館周辺など) |
| 電話番号 | 0791-43-6962(赤穂市教育委員会文化財係) |
| 散策時間 | 約45〜60分。二之丸庭園や歴史博物館も含めるなら1〜2時間程度がおすすめです。 |
| 営業時間 | 本丸・二之丸庭園:9:00〜16:30(入園16:00まで)/年末年始休園 |

赤穂城は市街地にある平城で、靴や服装は選びません。赤穂城跡公園として平坦に整備されているため歩きやすいですが、少し広さもあるのでスニーカーなどですと快適に散策できます。
まとめ

赤穂城天守台からの風景です。本丸全体を見渡すパノラマで遠くには二の丸の木々や赤穂の街並みまで見通せました。
かつての藩主たちも同じ空気を吸っていたのだろうかと思うと胸が熱くなります。周囲に視界を遮る高い建物もなく絶景を堪能できました。
さて今回は赤穂城でしたが最大の魅力は、日本人の心を揺さぶる「忠臣蔵」の歴史ドラマと、甲州流兵学による極めて実戦的な城郭構造のギャップかと思います。
浅野家のお取り潰しが決まり大石内蔵助ら赤穂浪士たちが無念の涙を飲んでこの城を明け渡した歴史的背景を知ってから訪れると、複雑に折れ曲がった石垣やひっそりと残る長屋門の一つひとつに、彼らの主君への強い忠義と深い悲しみが宿っているように感じられます。
お城めぐりを楽しんだ後は城内にある赤穂大石神社へ参拝し、赤穂浪士たちに思いを馳せるのも一つです。また赤穂といえば海の幸と塩の町で、牡蠣を使った料理や、名産の赤穂の塩を使った塩ラーメン、塩饅頭などのご当地グルメを食べ歩きするのも楽しみの一つです。
忠臣蔵の悲劇の舞台と美味しい海の幸が待つ赤穂城、歴史ロマンあふれる海城へ足を運んでみてください。

赤穂城は平和な世の中に造られたのにバッチリ要塞のようなお城になってるのが面白かったね!それにやっぱり忠臣蔵だよね、ここが赤穂浪士の舞台だったと思って歴史に思いを馳せて城廻りできたのもお城廻りの面白いところだよね♪

そうだよね、忠臣蔵の城の明け渡しは藩内に城に籠もって幕府に抵抗しようとする意見もあったみたいだよね。でも大石は浅野家再興の道を残すため幕府軍と戦わず城を明け渡したってところも深いなって思ったよ!

難しい話だね、なんかよくわからないけど大人な判断だな。もみじは天守台からの景色が爽快で印象深かったな!それにそれに明石焼きだよ~、やっぱりご当地グルメってとっても食べ応えあるよね☆

ふふっ、よかったね、もみじちゃん♪大石内蔵助って忠臣蔵だけじゃなく筆頭家老としても優秀な実務官僚だったんだよね!赤穂といえば「塩」だけど全国的なブランドに押し上げたのは内蔵助だって話もあるんだよね、オーバースペックな城の維持費などで慢性的な赤字だった赤穂藩の財政を藩札の発行や塩の専売などでコントロールしてたんだって♪

大石内蔵助は普段はぼんやりしていて役に立たないけど、いざという時に光り輝くっていう「昼行灯」って呼ばれたんだよね!赤穂藩最大の危機に冷静な判断力を発揮した姿を知ると普段は力を見せずいざというときに本領を発揮する人物だったのかもしれないね♪赤穂城の前後のお城は、59番姫路城、61番高取城となっています。お時間あれば足を運んでみてください♪
▼近畿の城をめぐる
滋賀県
49. 小谷城 /
50. 彦根城 /
51. 安土城 /
52. 観音寺城
京都府
53. 二条城
兵庫県
56. 竹田城 /
57. 篠山城 /
58. 明石城 /
59. 姫路城 /
60. 赤穂城
奈良県
61. 高取城
和歌山県
62. 和歌山城

