

こんにちは、観音寺城を案内する旅むすめの染井さくらです。この記事ではお城のガイドやお城の周辺観光なども紹介させてもらいます。よろしくお願いします♪

観音寺城のワンポイントは[近江の名門・六角氏が築いた巨城、日本最大級の規模を誇る山城、森の中に眠る総石垣の神秘的な景観、観音正寺への参道歩き]となっています!
基本情報

観音寺城は近江守護・佐々木六角氏の居城です。築城時期には諸説がありますが、六角氏が南近江を支配する拠点として整備し、室町時代から戦国時代にかけて重要な役割を担いました。
六角氏は近江の名門守護大名で、特に六角定頼の時代には勢力を強めました。城下の石寺では楽市が行われたことでも知られ、観音寺城は単なる山城ではなく、政治・軍事・経済の拠点として機能していたと考えられています。
そんな六角氏ですが大きな転機となったのは永禄11年(1568)の織田信長上洛です。足利義昭を奉じて上洛を目指した信長に対し、六角承禎・義治父子は対立します。しかし六角方の重要拠点であった箕作城などが攻め落とされると、六角父子は観音寺城を離れ城は開城しました。
その後安土城が築かれる頃には観音寺城は歴史的役割を終えたと考えられています。そして江戸時代や幕末に城郭として再利用されることもなく、現在は国指定史跡として保存されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 滋賀県近江八幡市安土町石寺・東近江市五個荘周辺 |
| 築城年 | 建武年間(1330年代)頃 |
| 築城主 | 六角氏頼 |
| 主な出来事 | 織田信長の侵攻による無血開城 |
| 主な城主 | 六角高頼、六角定頼、六角義賢、六角義治など |
| 重要遺構 | 伝本丸跡、伝平井丸跡、伝池田丸跡、伝落合丸跡、石垣、石段、郭跡など |
| 別名 | 佐々木城、観音寺山城、繖山城(きぬがさやまじょう) |
| 日本100名城・続100名城番号 | 日本100名城 52番 |

観音寺城は日本100名城の52番に選ばれてます。観音寺城は織田信長の大軍を前に当主の六角義賢・義治父子が戦意を喪失し、観音寺城を捨てて逃亡しました。そして無血開城したという歴史の転換点となった舞台でもあります♪
どんな城

観音寺城は滋賀県近江八幡市・東近江市の標高約432mの繖山に築かれた山城です。山上から山麓にかけて多数の郭が広がり、山全体を城として使ったスケールの大きさが特徴です。
天守や復元櫓のような分かりやすい建物はありませんが、山中に点在する遺構をたどることで六角氏の本拠だった城の大きさを実感できます。
最大の見どころは中世の山城でありながら石垣を多く用いている点です。伝本丸、伝平井丸、伝池田丸周辺には、石塁や石垣が残り、自然石を積んだ野面積みの姿を見ることができます。
城内は現在も山道を歩く散策となります。観音正寺方面から登るルートでは寺院参拝と城跡めぐりを合わせて楽しめるのも魅力となっています。

観音寺城は別名「繖山城」とも呼ばれています。これは観音寺城が築かれた繖山(きぬがさやま)にちなんでいることと、山の形が貴人に差しかける笠(衣蓋=きぬがさ)に似ていることが由来だといわれています!
観音寺城さんぽ

観音寺城石階段です。入り口からは霧の彼方まで果てしなく続く石階段が立ちはだかります。
400段あるこの階段はとにかく長く、城跡巡りというよりも本格的な山登りかと思うほど大変な道のりです。
また一段ごとの石の形や高さが不揃いなため、設置されている金属製の手すりを使用しつつ登るのがいいかと思います。

城内です。険しい石段を登りきると木々に囲まれた城内に出ます。
城内全体の案内看板と自動販売機が設置されており、過酷な山道を歩き終えた直後の水分補給と散策ルートの確認に重宝する休憩スポットとなっています。

駐車場です。階段を登らずとも裏参道山上駐車場から観音正寺まで行くことができます。
階段のルートは思ったより大変かと思うのでこちらの駐車場から本丸へ来るのも一つの方法となっています。

観音正寺です。実質上の観音寺城内になります。
長年の風雪に耐えてきた重厚な木組みの鐘楼と、そこに吊るされた大きな釣鐘が印象的です。

境内入り口です。木立の奥から霧が立ち込める中、参道の両脇に巨大な金剛力士像が立ちはだかる入り口となっています。
「日本仏教主 聖徳太子」と書かれた白いのぼり旗が風に揺れ、独特な空気が漂っています。

城内です。石畳が真っ直ぐに伸びる参道を進みます。
観音寺城は六角氏の居城でしたが、実は織田信長の近江支配の前に六角氏はすでに商業都市を育てる戦国大名だったと言われています。
観音寺城の城下町・石寺は史上最初の楽市が行われた場所として知られます。つまり信長の楽市楽座は突然出てきたわけではなく、六角氏の領国経営にも商業政策の先進性があったという話だったようです。

六角承禎像です。観音寺城の最後の城主である六角義賢(承禎)の背後には、雲海のように霧がかったのどかな田園風景と遠くの山々が広がっています。
六角承禎は信長に追われた人物として語られがちですが、もともとは近江守護の名門・佐々木六角氏の当主です。佐々木六角氏は鎌倉時代以来、近江守護を務めた名門で、単なる地方豪族ではありません。
六角承禎は信長にあっさり負けた人ではなく、室町以来の名門守護大名の最後期を背負った人でした。

石垣です。観音寺城は安土城のすぐ近くにありますが、信長の安土城以前から石垣を多用していた巨大城郭でした。
この城は天守を持たない迷宮で、山全体に無数の曲輪と石垣を張り巡らせています。
そのためここ以外でも山中を歩くと突如として巨大な石垣が現れます。
戦うための要塞というより権力を誇示するための山上の大邸宅群という性格が強く、最先端の城造りをしていたようです。

茶屋です。建物の前には青いベンチが置かれており、険しい山道を歩き疲れた体を休めるのにちょうど良いスペースとなっていました。
中は展示物や机が見え、散策の合間に歴史資料に触れながら一息つける休憩所となっているようです。

お堂です。建物の奥を覗き込むと煌びやかな金屏風に描かれた立派な鳥の絵が堂内に浮かび上がっていました。
観音寺城を本拠とした六角氏には「六角氏式目」という少し変わった分国法がありました。これは永禄10年(1567年)に定められた全67条の法で、六角承禎・義治父子と有力家臣たちが領国を立て直すために取り決めたものだったようです。
普通の分国法は大名の権力を強めるために作られることが多いですが六角氏式目は少し違いました。観音寺騒動で家中の信頼が揺らいだ六角氏が「主君も家臣も勝手なことをせず、決めたルールを守ろう」と確認し合ったような性格を持つものだったようです。国を纏めるのがいかに大変だったかがわかるような法ですね。
静かなお堂を眺めているとかつてこの山上で、名門六角氏が家中をまとめようと苦心していた時代の空気まで感じられるようでした。

本丸です。かつて観音寺城の中心だったこの辺りは現在は寺院の敷地として整備されており、歴史の面影と豊かな自然が融合した穏やかな空間が広がっていました。
六角承禎・義治親子は信長との対決で正面から大決戦をすることなく開城し、逃亡したとされます。これは城の弱さではなく、組織の弱さからこうなってしまったようです。
観音寺城は巨大で石垣もあり、地形も険しい。なのに持ちこたえられなかったということは、戦国の城は「石垣と曲輪」だけでなく、家臣団の結束があって初めて機能するといえるのかと思います。

観音正寺本堂です。本堂の前に立つとここが単なる山城跡ではなく祈りの場としても長く大切にされてきた場所だと感じられます。
名門の家柄、豊かな近江の経済力、そして観音寺城という巨大城郭。これだけのものを持ちながらも、内部の結束を失えば戦国大名は崩れてしまう。それが戦国の世だったんですね。
静かな本堂を眺めていると六角氏親子がこの山上で家中をまとめようと苦心した時代まで少し身近に感じられる気がしました。

見学のルートはいくつかありますが、中腹まで有料の林道で車で登りそこから観音正寺を城跡を巡ると、家臣の屋敷跡とされる「平井丸」や「池田丸」、自然石を積み上げた石垣群を確認することができます!
城周辺さんぽ

安土駅です。
駅前広場は綺麗に整備されており、すぐ向かいの建物ではレンタサイクルを借りることができるようでした。

織田信長像です。安土といえばやはり織田信長ですね。
右手に扇子を持ち、左手で刀を抑えながら彼方を見据えて指示を出すような力強いポーズからは、天下布武を推し進めた覇王の威厳が静かに漂っていました。

力士像です。信長像から少し離れた駅前広場の一角に、組み合う二人の力士を象った白い石像が設置されています。
傍らの解説板には「安土と相撲」の歴史が記されていました。信長が安土で大規模な相撲大会を催したという史実に基づくモニュメントです。
信長の時代には既に相撲があったと知れるきっかけになれました。

安土駅観光協会です。観音寺城や安土城の史跡巡りに出発する前、ここで周辺マップを入手したり、食事をすることもできます。
また手荷物預かりもしてくれて、100名城スタンプもこちらに設置されています。

館内です。中央には1/20スケールの安土城天主のひな型がありました。
黒い下見板張りの外壁と最上階の朱色や金色の装飾が精巧に再現されており、今はなき幻の巨城の立体的な構造を間近でじっくりと観察できます。

展示品です。甲冑は織田信長の「南蛮甲冑」のレプリカです。
西洋のプレートアーマーを取り入れた漆黒の胴当てと、背中に羽織った鮮やかな青いマントの組み合わせから、新しい文化を積極的に取り入れた信長らしい革新的な気風を感じ取れました。
また背後には当時の城下町の賑わいを描いた煌びやかな金屏風絵が壁一面に展示されていました。

今回はお食事している時間が取れなかったですが、次は絶対に近江牛食べたいです~☆
100名城スタンプと城アクセス情報

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 設置場所 | 観音正寺/桑實寺/安土城郭資料館/石寺楽座会館 |
| 設置時間 | 観音正寺:8:00〜17:00/石寺楽座会館:火曜以外の平日10:00〜16:00が目安。その他は各施設の拝観・開館時間に準ずる |
| 休日 | 各施設により異なります。石寺楽座会館は閉館日が多いため事前連絡推奨 |
| 電話番号 | 0748-46-2549(観音正寺)/0748-46-2560(桑實寺)/0748-46-5616(安土城郭資料館)/0748-46-5051(石寺楽座会館) |
| 料金 | 観音正寺・桑實寺は拝観料が必要。安土城郭資料館は入館料が必要。石寺楽座会館は開館時であれば入館料不要 |
| 備考 | 「石寺楽市会館」ではなく、公式表記は「石寺楽座会館」です。スタンプ設置場所は複数ありますが、開館日・時間が施設ごとに異なるため事前確認がおすすめです。 |
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 滋賀県近江八幡市安土町石寺ほか(観音寺城跡) |
| アクセス | JR琵琶湖線「安土駅」から徒歩またはタクシー利用。観音正寺・桑實寺方面から登城 |
| バス | 公共交通だけでの登城はやや不便なため、タクシー・車の利用がおすすめ |
| 駐車場 | 観音正寺・桑實寺・登山口周辺に駐車場あり。台数・料金は施設やルートにより異なります |
| 電話番号 | 0748-46-2549(観音正寺) |
| 散策時間 | 約60〜120分。山城で石段・山道があるため、時間と装備に余裕を持つのがおすすめです。 |
| 営業時間 | 観音正寺は8:00〜17:00。城跡散策は寺院・登城ルートの時間に注意 |

観音寺城は規模の大きな山城です。山頂の本丸までは長い石段が続くため、歩きやすいスニーカーがオススメとなっています。また途中で飲み物も買えないので夏は飲み物やタオルをしっかり準備し、熱中症対策をお忘れないよう気をつけてください。
まとめ

画像は観音寺城本丸からの景色です。青々とした田園風景が広がり、その奥には幾重にも連なる山並みが続いています。
訪問時はあいにくの曇り空でしたが、山肌に低く立ち込める霧や雲海がかえって山城ならではの幻想的な景観を作り出していました。
さて今回は観音寺城でしたが最大の魅力は日本最大級というスケールと、中世山城の常識を覆す総石垣かと思います。
近江を支配した六角氏の絶大な権力と栄華の証であるこの巨城が、織田信長の侵攻を前にして一度も本格的な戦闘を交えることなく開城したという事実は戦国時代の大きな歴史の転換を感じさせます。
また400段の石階段は登るのは大変ですが当時の苦労を知れるという意味でも時間があればぜひチャレンジしてほしいルートとか思います。
さらに麓の近江八幡市街で風情ある水郷めぐりを楽しんだり、地元で愛される和菓子や絶品の「近江牛」を楽しむこともできます。近江八幡市へ行った際は歴史のミステリーと山城歩きの達成感が味わえる観音寺城をぜひ散策してみてください。

観音寺城はすっごく広くてビックリしたな!森の中を歩いていると急に大きな石垣が現れて、なんだか冒険映画の遺跡探しをしているみたいでワクワクしちゃった♪

階段登りは大変だったけど当時の人の気持ちも知れて登り甲斐があったね!

もみじは階段登り辛くてくじけそうだったよ(泣)でもその分本丸からの景色は感動したしスケッチする手が止まらなかったよ☆

ふふっ、もみじちゃんの絵は本当に上手だよね♪私はやっぱり六角親子のヒストリーが気になったな。義治が重臣の後藤賢豊を観音寺城内で殺害した事件が、六角氏の家中分裂の大きなきっかけになったんだよね。六角親子は経済と築城の天才だけど、人事と人望が足りなかった一族ってイメージだな。

そうだよね、観音寺城は落ちた城っていうよりは見限られたお城って感じするよね。城が国を作るわけではなく、人が国を作ってことなんだろうね。なんだか現在にも通じそうなことだね(汗)さて観音寺城の前後のお城は51番安土城、53番二条城となっています。お時間あれば足を運んでみてください!
▼近畿の城をめぐる
滋賀県
49. 小谷城 /
50. 彦根城 /
51. 安土城 /
52. 観音寺城
京都府
53. 二条城
兵庫県
56. 竹田城 /
57. 篠山城 /
58. 明石城 /
59. 姫路城 /
60. 赤穂城
奈良県
61. 高取城
和歌山県
62. 和歌山城

