

こんにちは、春日山城を案内する城むすめの染井さくらです。この記事ではお城のガイドやお城の周辺観光なども紹介させてもらいます。よろしくお願いします♪

春日山城は上杉謙信の居城として知られ、複雑な自然の地形を巧みに利用した難攻不落の城と言われています。現在もその姿を残しつつ春日山神社や謙信の銅像があり、多くの観光客が歴史を感じながら訪れる人気スポットです!
基本情報

春日山城は上杉氏の拠点をベースに、長尾為景とその子どもである上杉謙信が大規模に整備した山城となっています。
上杉謙信といえば言わずと知れた戦国時代の名将で越後の龍とも呼ばれていました。甲斐の虎である武田信玄のライバルとしても有名です。謙信は軍神・毘沙門天を信仰し義を重んじた人物と言われています。
そして春日山城は上杉軍ゆかりの城として直江家屋敷跡などもあります。直江家というと上杉家の重臣として仕えている名家で、直江兼続は景勝の家老としても活躍をしたことで有名です。
春日山城はこうした有名武将たちの居城としてもとても人気のある城となっています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 築城年 | 14世紀後半(南北朝時代) |
| 築城主 | 上杉氏または長尾氏(諸説あり) |
| 主な出来事 | ・戦国時代、上杉謙信が本拠とする・1578年 上杉謙信の死後、御館の乱が発生・1607年 堀忠俊による直江津城(福島城)への移転に伴い廃城 |
| 主な城主 | 上杉謙信、上杉景勝、堀秀治 |
| 重要遺構 | 本丸跡、天守台跡、毘沙門堂、虎口跡、石垣、空堀、春日山神社(旧城域内) |

春日山城は日本100名城の32番に選ばれてます♪城主である上杉謙信は女性だった説がありますが、これは戦国時代に珍しく生涯独身だったことや甲冑や着物に女性用のものがあったという言い伝えがあることから来ているようです。しかしあくまで歴史ロマンのひとつとして楽しまれている説だと考えられています♪
どんな城

春日山城は新潟県上越市の山城で、標高約180mの山上に築かれています。
城内には堅牢な虎口や土塁、石垣が残り、当時の戦略や防御力の高さがうかがえます。
また城内には上越の街を見守るように謙信公銅像がそびえ立っています。

春日山城は別名「越後春日山城」「鉢ヶ峰城」とも呼ばれています。鉢ヶ峰城と呼ばれていた由来は春日山が昔鉢ヶ峰と呼ばれたことが元となっているようです。また上杉謙信はこの尾根一つ一つに郭配置し、谷を空堀にすることで、どこから攻めても「袋のネズミ」になるような立体的な城を築き上げました!
春日山城さんぽ

今回は春日山城へ行ってきました。アクセスは基本的に車が便利です。
駐車場のすぐ目の前が登城口階段になっていますが、これがなかなかの長い階段となってます。この階段は敵が一気に攻め込めないように計算された階段になっていたのかなと思いました。

春日山神社です。階段を登りきると出てくる神社で上杉謙信が祀られています。
実はこの神社戦国時代からあるわけではありません。創建されたのは明治34年(1901年)で下道良輔氏らの尽力によって建てられました。比較的新しい神社ですが今や春日山城観光のシンボルとなっています。
春日山神社は軍神・謙信公を祀っているため必勝祈願はもちろん、謙信公が非常に学問を重んじたことから学業成就のご利益があることでも知られています。
また神社の境内の至る所に、上杉軍の軍旗である「毘や「龍」の文字が見られます。御朱印やお守りもこのデザインが多くファンに嬉しいスポットとなっています。

売店です。春日山神社に隣接している売店でお土産や春日山神社の御朱印なども置いています。
100名城スタンプはこちらではなく、城外にある春日山城跡ものがたり館に置かれています。

城内です。春日山城は虎口から上に登るルートと三の丸から上に登るルートがあります。今回は虎口から上に登りました。
城内は一見すると深い山の中のようですが、春日山城は土を削り固めた土の城でした。
この春日山城が石垣がなくても難攻不落と言われたのは、上杉謙信公がこの山の地形を徹底的に改造し、山全体を巨大な城としたことにありました。

千貫門跡です。古地図に必ず書かれている千貫門ですが、ここは土塁と分断されていることから千貫門跡だと考えられています。
三方の土塁と土手に囲まれていて左に二本、一見道と思われる切り通しがあります。実はこれは空堀の底で侵入者を空堀から急激な崖下に落とそうとしたものであると見られています。

虎口です。敵軍が城内へ直線的に侵入できないよう道が複雑に折り曲げられたり、狭められたりする工夫が施されています。
一歩足を踏み入れると四方から狙われているような独特の圧迫感を感じる場所となっています。

城内の風景です。山の中で自然を存分に感じられる景色ですが、道は整備されていますし城としての雰囲気も感じることができます。
春日山城は敵の動きを制限するためにわざと細く、急に作られた場所が多々あります。そういった複雑な地形を利用した堅固な城のため難攻不落の名城と言われたんだろうと思います。

直江家屋敷跡です。お花畑から千貫門までの間に上下三段の郭が作られています。これだけの規模の屋敷を山の上に持っていたことから、直江家の権力の大きさがうかがえます。
直江家というと上杉家の重臣として名高いですが特に直江兼続が有名です。個人的には直江兼続というと漫画の前田慶次に出てくる直江兼続のイメージが強いです。

毘沙門堂です。この御堂には謙信の信仰していた毘沙門天の尊像が安置されています。毘沙門天は悪魔を降す神で、謙信は自らの軍を降魔の軍とみなし「毘」の旗を陣頭にかざし、事あるときはこの堂前で諸将に誓いを立てさせたと言われています。
また毘沙門天は四天王のうち北方を守る多聞天であることからこの尊像は城の北方を守る意味も持っていたと言われています。
尚、普通の城であれば本丸付近には武器庫や蔵を置くことが多いですが、春日山城ではこの毘沙門堂や護摩堂といった宗教施設が非常に重要な位置(本丸のすぐ下)に配置されています。これは、春日山城が政治の拠点である以上に信仰の聖地であったことを物語っています。

更に先に進みます。春日山城は標高180メートルの山に築かれているためひたすら山道となってます。
この180メートルという高さは攻めにくく、かつ監視しやすい高さです。これ以上高いと補給が困難になり、低いと敵を見渡せません。
尚、当時は現代のように整備された道は少なくもっと滑りやすく急な土の道だったと考えられています。そのため彼らの足腰の強さは、現代人の想像を絶するものだったと思われます。

本丸です。本丸には春日山城と本丸の石碑があります。本丸は天守台とともに春日山城のお天上と呼ばれていました。
また春日山城では本丸のことを実城とも呼びます。これは城の真実の核(中心)という意味で、戦国時代の山城において最も重要なエリアを指す言葉となっています。

天守閣跡です。本丸の南隣にあり、石碑にありますが天守閣はなかったとされています。当時は周囲を見渡すための高床式の櫓のような建物があったと考えられています。
またかつてはこの本丸のどこかに謙信公が蓄えた黄金が眠っているという伝説が語り継がれていた時期もありました。それほどまでにこの本丸は人々の想像力をかき立てる神秘的な場所だったと言えると思います。

二の丸跡です。頂上だった本丸から今度は降っていきます。行きも帰りも山道ですので水とタオルの持参は忘れないほうがいいと思います。
本丸から毘沙門天堂をへてお花畑に至る郭群が実城となっています。二の丸はこの実城の左裾を取り巻くように造られています。

三の丸跡です。ここには謙信公の養子である三郎景虎(上杉景虎)の屋敷跡や、城の兵糧を支えた米蔵跡などが存在していました。現在も三の丸に残っている土塁は非常に保存状態が良く、当時の面影を強く残しています。
また三の丸の近くには川中島の合戦などで勇名を馳せた甘粕景持の屋敷跡もありました。
この三の丸に屋敷を構えていた景虎と、二の丸方面を拠点としていた景勝。謙信公の死後、養子であるこの二人が上杉家の家督を巡って激しく争うことになります(御館の乱)。今歩いているこの穏やかな景色の中でかつて家臣団を二分する悲しい争いがあったと思うと非常に感慨深いものがあります。

一般道に出てきました。三の丸を更に降りると春日山神社付近まで戻ってきます。
三の丸から降りてきたところにも売店がありました。こちらでもお土産を買うことができますが100名城スタンプは置いていませんでした。

上杉謙信の銅像です。この像は1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映を記念して建てられました。頭巾を被った僧形の姿をしていて、出家して不識庵謙信と名乗った後の姿をモデルにしています。
石垣の上にいるこの上杉謙信の銅像はまるで城から町の安全を見守るように建てられています。
上杉謙信の姿やその見守るような配置がとても印象的でこの城の最後にふさわしい素晴らしい銅像だと感じました。

春日山城には水を使わずに地面を掘った空堀や、山の斜面を垂直に削った切岸が数多く存在します。 これらは敵の兵士が山を横に移動したり、一気に駆け上がったりするのを防ぐための目に見える罠だったようです!
城周辺さんぽ

上越市埋蔵文化財センターです。館内には上杉謙信公の肖像画(複製)や、当時の軍旗などの資料が展示されています。
また山の上にある毘沙門堂や本丸がどのような意味を持っていたのか、学術的な視点からの解説などもされています。

展示品です。戦の様子が描かれています。
かつては上越市で開催された大河ドラマ展の関連でドラマで使用された衣装や小道具が展示されていたこともありました。

総構です。こちらも春日山城跡ものがたり館近くにあります。
春日山城の防御を確認できる復元となっていて、春日山城は城を囲むように堀と土塁からなる総構が築かれていたようです。
この場所は榎田地点と呼ばれ、発掘調査によって巨大な堀跡が見つかったことで、春日山城が日本最大級の総構を持つことが証明されました。

土塁と掘の復元です。春日山城跡ものがたり館近くにある遺跡で当時の様子を体感できます。

春日山城跡ものがたり館です。春日山城から徒歩で来るには少し距離があると思います。施設見学も無料となっています。
100名城スタンプはこちらにあるので集めている方はお忘れないように気をつけてください。

館内です。ひと際インパクトを放つ「毘」の旗印ですが、上杉謙信公の代名詞といえばやはりこれですよね。
この「毘」の一文字は謙信公が自らを「毘沙門天の化身」と信じていたことから、信仰と勝利の象徴として好んで用いたものです。
またもう一つの象徴である「龍」は総攻撃の合図として掲げられた「懸かり乱れ龍」の旗に由来します。この旗が戦場を舞う勇ましさから、謙信公には「龍」のイメージが定着したようです。
ちなみに個人的には上杉謙信というと戦国無双のミステリアスで圧倒的な強さを誇る姿が思い出されます。

甲冑です。リアルな甲冑ですが謙信公が好んで使った甲冑は伊予札という小さな板を繋ぎ合わせた構造でした。
伊予札は非常に動きやすくかつ防御力も高いという、実戦を重視した名将らしい選択だったようです。

屏風や壺も展示されていました。屏風には武田信玄と上杉謙信の宿命の対決「川中島合戦」が描かれていました。
物語館では他にも川中島合戦に関連する資料や複製が展示されており、当時の陣形や武具の様子を含め詳しく知ることができます。

今回は食事をしている時間がありませんでしたが観光はたっぷり楽しめましたー。でももみじはお腹ぺこぺこでした☆
100名城スタンプと城アクセス情報

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 設置場所 | 春日山城跡ものがたり館(冬期休館中は上越市埋蔵文化財センター) |
| 設置時間 | 9:00〜16:30 |
| 休日 | 月曜(祝日の場合翌日)・12/29〜1/3 |
| 電話番号 | 025-523-3687 |
| 料金 | 館内無料 |
| 備考 | スタンプ設置は1ヶ所です。 |
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県上越市大豆334 |
| アクセス | えちごトキめき鉄道「春日山駅」から徒歩約20分 |
| バス | 駅・市内からバスまたはタクシーが実用的 |
| 駐車場 | ものがたり館周辺に無料駐車場あり(台数限りあり) |
| 電話番号 | 025-544-3728(春日山城跡ものがたり館) |
| 散策時間 | 約30〜45分。史跡広場・城跡の復元遺構を巡るなら1時間弱。 |

春日山城は山の上にあるので、歩きやすい靴と動きやすい服装がおすすめです。
まとめ

本丸からの眺めです。本丸からはかつての越後府中と周辺の山々の支城跡や日本海が一望できます。また関川右岸に広がる林に囲まれた村落の風景は、1597年の越後国絵図に描かれている風景とほぼ変わらない景観となっています。
今回は春日山城でしたが上杉謙信と直江兼続の城ということがあってとても楽しめました。どこの城廻りも楽しいですが好きな武将の城というのはより楽しく思えるものですね。
そんな春日山城は山城で遺構というよりは城の造りを楽しむのが見どころかなと思いました。
更に上杉謙信の銅像ですがその立ち振る舞いがとても印象に残りました。そんな春日山城はとても満喫できる城でしたのでまた違う季節にぜひ来てみたいと思います。

春日山城ってかつては桜の名所としても有名だったみたいだよ。でも今は土塁や堀を保護して本来の山城の姿を見せるために樹木の伐採・整備が進められているんだって。でもその分今の姿の方が謙信公が見ていた景色に近いってことだよね♪

消えた1,000本桜ってことかな!当時の姿を守るための決断なんだね、ロマンを感じるな!ちなみに上杉家には謙信公が戦場へ出向いている間、お堂の毘沙門天の足にも泥がついていたっていう「泥足毘沙門天」の伝説が残っているんだって。それほど謙信公と毘沙門天は一体のものと考えられていたんだね!

上杉謙信って戦国の代名詞だしエピソードが尽きないよね!そういえば直江兼続の屋敷跡近くにお花畑あったよね。あれって当時は薬草とかを栽培していた場所だったみたいだよ。もみじは今回ご飯食べられずお腹ペコペコだったからリンゴの木とかも植えておいてほしかったな☆

ふふっ、リンゴなってても勝手に食べちゃダメなんだよ(笑)直江兼続といえば「愛」の一文字を掲げた兜だよね!直江兼続は花の慶次に出てくる「愛」と「義」の人で慶次の親友として描かれていたけど実際の歴史でも兼続は多くの文人や武将と交流があったみたいだよね。

兼続の広い屋敷でどんな宴や密談が行われていたのか想像するとワクワクするね!春日山城の前後のお城は31番新発田城、33番高岡城となっています。お時間あれば足を運んでみてください♪
▼関東・甲信越の城をめぐる
関東
14. 水戸城 /
15. 足利氏館(鑁阿寺) /
16. 箕輪城 /
17. 金山城 /
18. 鉢形城 /
19. 川越城 /
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31. 新発田城 /
32. 春日山城

