

こんにちは、松代城を案内する城むすめの染井さくらです。この記事ではお城のガイドやお城の周辺観光なども紹介させてもらいます。よろしくお願いします♪

松代城は川中島の戦いや真田家にゆかりのある城で太鼓門や橋詰門が見事に復元されています。また現在は海津城址公園としても整備されていて城下町とともに歴史散策が楽しめる観光スポットとなっています!
基本情報

松代城は武田信玄が山本勘助に命じて築城させた城で、川中島の戦いでは武田氏の拠点となっていました。
また江戸時代になると松代藩初代藩主の真田信之(真田幸村の兄)の居城となり、その後真田家が十代にわたって治めた城としても知られています。
真田信之は知将としても知られ、その戦ぶりから徳川家康に気に入られ政略結婚にて徳川家の縁者となりました。その後関ヶ原の戦いでは信之は父と弟である昌幸達と敵対することになりました。しかしこれはどちらが勝っても真田家としては家を残すことができるので悪い展開とも言えない状況だったようです。
その後信之は松代城に入り、明治まで続く松代藩の基礎を作りました。しかし信之は晩年に嫡男・嫡孫が先立ってしまったためお家騒動が起きてしまい、最後まで時代に翻弄されてしまいました。ただ享年93歳と戦国武将としてはとても長寿でした。そんな信之は優秀といわれる真田家の中でも確かに名将といえる人物だったと思います。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 築城年 | 1560年頃(海津城)、江戸初期に松代城へ改修 |
| 築城主 | 武田信玄(海津城時代)、真田信之(松代城時代) |
| 主な出来事 | 川中島の戦いの拠点として使用/江戸期は真田家の居城 |
| 主な城主 | 真田信之、真田家歴代藩主 |
| 重要遺構 | 太鼓門、石垣、土塁、本丸跡、二の丸跡 |

松代城は日本100名城の26番に選ばれています。このお城は川中島の戦いの舞台となった場所なので、車で10分ほど移動したところには、激戦地として知られる川中島古戦場史跡公園などもあります♪
どんな城

松代城は長野県長野市松代町に位置する平城で、二の丸と三の丸が配置された梯郭式の縄張りとなっています。
堅固な石垣と土塁、更に背後に千曲川があり天然の要塞となっていました。しかしその千曲川がたびたび洪水を起こし何度も修復が必要でした。そのため石垣は災害のたびに改修され、野面積み、打ち込みハギ、切りこみハギなど様々な手法が使われています。
また城内での火災も多く本丸・二の丸・三の丸が焼失したこともありました。そのため藩主の政務など、城の中心地は次第に本丸から花の丸御殿へと移っていきました。
そして1872年に廃城になると城は取り壊されましたが、現在は二の丸、太鼓門、堀を含めた様々な遺構が整備・復元等により再現され江戸時代の姿に近い状態で見ることができます。また海津城址公園として多くの人が訪れるスポットとなっています。

松代城は別名「海津城」「貝津城」「茅津城」と呼ばれています。武田信玄時代は主に海津城と呼ばれていて、真田信之時代に松代城と呼ばれるようになりました。城内には海津城の石碑があり、築城年は不明ですが文献で海津城の名は確認することができたようです!
松代城さんぽ

今回は松代城へ行きました。城への移動手段は基本車になるかと思います。駐車場から城まで少し歩きますが畑道が広がってて雰囲気がいいです。
画像は松代城入り口です。松代城は武田信玄と上杉謙信が信濃の支配をかけて争った川中島の戦いで、武田軍の拠点として築城された城だと言われています。そのため松代城から車で少し移動した場所には川中島広場や川中島古戦場跡などもあります。

石垣です。松代城の石垣は災害のたびに改修されたため野面積み、打ち込みハギ、切りこみハギなど様々な手法が使われています。
松代城からは山を見渡すことができます。遮るもののないこの景色を眺めていると、当時の武将たちも、今と同じ山並みを見ながら戦略を練っていたのかなと、ふと時代を遡ったような感覚に包まれました。

城壁と狭間です。狭間は四角だけじゃなく三角など色々な形をしていることもありますが、ここは四角の大きさが異なる狭間となっていますね。
これは使用する武器が鉄砲か弓矢かの違いや、射撃手の姿勢が立ち撃ち、膝撃ちなのかなど状況による対応ができるようにするための工夫と考えられます。
ここがかつて防御拠点であったという緊張感が伝わってくる造りになっていますね。

北不明門表門です。過去に水ノ手御門と呼ばれていたこともありました。
現在は石垣で囲まれた枡形の中に、一の門である高麗門と、二の門である櫓門、そしてそれらを繋ぐ続塀が忠実に復元されています。
まだ少し時間が早かったため閉まっていました。少し周りを見ながら時間を潰しましたが、閉まっている門を見るもの貴重かなと思いました。
実際攻めるときはこうして門は閉まっているわけで狭間などから攻撃もきますし、攻め入る際に先陣として突撃するのは心理的にはかなり厳しいですよね。

二の丸です。松代城は北側を流れる千曲川を天然の堀として利用した、守りに強い平城です。
この城の大きな特徴は、本丸を囲むように二の丸、三の丸を階段状に配置した梯郭式と呼ばれる縄張りにあります。背後に千曲川という天然の要害を背負っているからこそ、前方と側面を二の丸・三の丸が強固に守るこの形式が採用されました。
現在は広々とした空間が広がる二の丸ですが、かつてはここも多くの門や塀で仕切られ、本丸へ至るまでの幾重もの関門となっていたと思われます。

土塁です。松代城が築かれた戦国時代、武田氏の築城術においては、土を盛り上げて固めた土塁が防御の基本でした。後に真田氏の手によって強固な石垣へと改修されていきましたが、今なお残るこの土塁の姿に、中世城郭としての面影を垣間見ることができます。
一見すると、緑に覆われた穏やかな土手のように見えますが、かつてはこの上にさらに鋭い柵や塀が築かれ、敵の侵入を阻む巨大な壁となっていました。
石垣のような力強さはありませんが、周囲の風景に溶け込む土塁の曲線美を眺めていると、この城が歴史を刻んできたことを深く実感させてくれます。

土塁埋門(どるいうずみもん)です。本丸を囲む北から西にかけて続く土塁に、隠し門が設けられています。
この門は緊急時の出入り口と考えられています。また一部は千曲川の氾濫から城を守る堤防としての役割をしていたと考えれています。江戸時代の資料を元に復元された門となっています。

柳と山です。この日はあいにくの曇り空ではありましたが、しっとりとした空気感が城跡の静寂を際立たせており、晴天の日とはまた違う景色を楽しむことができました。時折吹き抜ける風に柳が揺れる様子は、かつての城下町の穏やかな日常を思い起こさせるようでした。

東不明門前橋です。本丸へ渡る橋で当時は東不明門と呼ばれる櫓門がありました。またこの橋は太鼓門前橋が利用できなくなった場合に利用されていたようです。

内堀です。内堀は本丸の周りを囲んでいますが、幅は約15メートルから20メートルに及びます。
水も入ったこの内堀はこの城が誇った鉄壁の守りを改めて実感させられます。

太鼓門前橋です。二の丸から本丸へ渡るための橋です。この橋は隣接する千曲川の氾濫などにより幾度となく水害に見舞われてきました。そのたびに橋は流失し、架け替えを余儀なくされてきたのです。
実際の発掘調査では、時代の異なる複数の橋脚跡が重なるようにして見つかっており、現在はその一部を間近に観察することができます

太鼓門です。本丸南側の大手(正面)に位置しています。太鼓門は本丸にある3カ所の中で最大の櫓門となっており、高さは11mを超えています。
かつてはこの門の楼上に太鼓が置かれ、時を知らせたり、緊急時の合図を送ったりするために使われていたと言われています。

本丸です。本丸は藩主が生活する本丸御殿がありました。現在は広場となっています。
本丸には海津城の石碑もありましたが、松代城の始まりは戦国時代の海津城だったと言われています。築城年は不明ですが文献で海津城の名は確認することができたようです。

松代城は広さとしては散策のしやすいお城でした。土塁埋門は珍しい遺構だったのでぜひぜひ隠し門を通り抜けてみてください!
城周辺さんぽ

続いて松代城周辺を周ります。100名城スタンプは松代城の外にありますが、置いてある場所は城周辺なのでそんなに歩かずともスタンプを押すことができました。
この一帯は、かつての城下町の面影を大切に守り続けており、美しく整備された小路や歴史を感じさせる土塀が続いています。大通りから一本脇道へ入れば、静寂の中に、しっとりと落ち着いた情緒を感じることができました。

旧文武学校です。真田幸貫、幸教の二代に渡って計画・建築された松代藩の藩校で、1855年に開校しました。当時はここで東洋・西洋の医学など先進的な教育がされました。
この文武学校は、武道場を含めたほぼ全ての建物が開校当初の位置に現存している日本唯一の藩校となってます。
板張りの床や、長い年月を経て磨かれた柱が並ぶ静かな空間は、どこか凛とした緊張感を湛えています。その圧倒的なリアリティと美しさから、現在では数多くの映画や時代劇のロケ地としてもたびたび利用されています。

真田邸です。松代藩9代藩主の真田幸教が母の貞松院のために建築したもので、明治以降は真田家の私邸として使われていました。
邸内から眺める庭園は、室内で座った状態から眺めることで最も美しく見えるよう設計された座観式の日本庭園です。四季折々の草花が彩るその景色を眺めていると、時が止まったかのような雰囲気を楽しむことができます。

真田宝物館です。真田氏ゆかりの物や、国の重要文化財「青江の大太刀」、武田信玄、豊臣秀吉、石田三成、徳川家康らの書状など貴重な品々が展示されています
またこちらには100名城スタンプも設置されているので集めている方はお忘れないよう気をつけてください。

旧松代駅です。大正から昭和初期の面影を色濃く残す木造駅舎で、2012年に長野電鉄屋代線が廃止された後も街のシンボルとして大切に保存されています。
一歩足を踏み入れれば、そこには昭和のレトロな空気がそのまま凝縮されているかのよう雰囲気を感じることができます。

旧松代駅の線路側です。かつて列車が走り抜けた鉄路は取り払われましたが、ここに鉄道が通っていた確かな記憶を今に伝えていました。

今回は食事する時間がなかったのでご飯食べられなかったです。次回はぜひゆっくり時間を作ってぼっちさんのお蕎麦やとくべえ駅前店さんの馬刺しが食べたいです☆
100名城スタンプと城アクセス情報

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 設置場所 | 真田宝物館 |
| 設置時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休日 | 火曜日(祝日の場合は開館)、12/29〜1/3 |
| 電話番号 | 026-278-2801 |
| 料金 | スタンプのみなら無料(展示観覧は有料:大人600円※真田邸等との共通券あり) |
| 備考 | スタンプ設置は1ヶ所です。 |
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 長野県長野市松代町松代44 |
| アクセス | JR長野駅から川中島バス「松代駅」下車徒歩約5分/長野ICから車で約5分 |
| バス | 長野駅から松代行きバス利用「松代駅」下車徒歩5分 |
| 駐車場 | 市営殿町観光駐車場・松代城北駐車場など(無料) |
| 電話番号 | 026-278-2801(真田宝物館/松代町観光案内所) |
| 散策時間 | 約30〜45分。本丸跡と真田邸を含めるなら1時間ほど。 |

松代城は平坦で段差もないので服装と靴は選ばないで散策することができます。
まとめ

画像は本丸からの景色です。非常に見晴らしが良く、かつては敵軍の動きや周囲の異変をいち早く察知できる重要な拠点であったことが分かります。
今回巡った松代城は、武田氏や真田氏ゆかりの地であり、川中島の戦いの舞台としても人気のあるお城です。江戸時代の資料に基づき忠実に復元された姿を間近に見ることができ、当時の雰囲気を肌で感じられる素晴らしい場所でした。
また城跡は桜の名所としても親しまれており、春には石垣を彩る満開の桜を楽しめます。小高い天守台跡からは周囲の山々を一望でき、その景観もまた格別です。
お城の周辺には真田邸や真田宝物館など、貴重な歴史資料に触れられる施設も充実しています。お城とあわせて巡ることで、松代の歴史をより深く知ることができるので近くへ来た際はぜひ立ち寄ってみてください。

松代城は何度も水害に悩まされたお城だけど、実はあの山本勘助が築いた水城だったんだって。千曲川の水を巧みに引き込んで周囲の守りを固める、当時の最新鋭の技術が詰め込まれたお城だったみたいだよ♪

千曲川の水は防御には頼もしかったけど、水害っていうデメリットも隣り合わせだったんだね。天守閣が作られなかったのも、繰り返される水害の復旧や財政難の影響があったり、実用性を取ってあえて作らなかったりしたって言われているんだよね!

災害で大変なお城だったんだね。でも、もみじは松代城は城と合わせた山の景色が印象的だったな。曇りだったのが余計に戦国時代を思わせる風景に感じてよかったな☆

確かになんか独特の雰囲気を感じられるお城だったね!江戸時代に真田信之公が入城して、93歳という長寿で真田家が明治まで続く土台を築き上げたっていうのも、松代城を語る上では外せない素敵なエピソードだよね。

本当だよね。それにやっぱり川中島の戦いの舞台になった場所っていうのが、歴史ファンにはたまらないしお城だったね!松代城の前後のお城は25番甲府城、27番上田城となっています。お時間あればぜひ巡ってみてください!
▼関東・甲信越の城をめぐる
関東
14. 水戸城 /
15. 足利氏館(鑁阿寺) /
16. 箕輪城 /
17. 金山城 /
18. 鉢形城 /
19. 川越城 /
20. 佐倉城 /
21. 江戸城 /
22. 八王子城 /
23. 小田原城 /
甲信越
24. 武田氏館 /
25. 甲府城 /
26. 松代城 /
27. 上田城 /
28. 小諸城 /
29. 松本城 /
30. 高遠城 /
31. 新発田城 /
32. 春日山城

