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近畿地方100名城と温泉めぐり
染井さくら

こんにちは、小谷城を案内する旅むすめの染井さくらです。この記事ではお城のガイドやお城の周辺観光なども紹介させてもらいます。よろしくお願いします♪

大和なつき

小谷城のワンポイントは[浅井氏三代の居城、浅井長政とお市の方ゆかりの地、山全体に広がる山城遺構、琵琶湖を望む絶景]となっています!

基本情報

小谷城入り口

小谷城は北近江の戦国大名・浅井氏三代の居城です。築城は浅井氏初代・浅井亮政の時代とされ、その後、久政、長政へと受け継がれました。

三代目の浅井長政は織田信長の妹・お市の方を妻に迎えます。しかしのちに信長と対立し元亀元年(1570)の姉川の戦いを経て、浅井氏は織田軍との戦いに追い込まれていきました。そして天正元年(1573)小谷城は織田軍の攻撃により落城。長政は自害し、浅井氏は滅亡しました。

しかし長政とお市の方の娘である茶々・初・江は生き延び、のちに豊臣家や徳川家の歴史にも深く関わっていきます。そのため小谷城は浅井氏の本拠であると同時に、戦国から安土桃山・江戸時代へ続く大きな歴史の転換点を感じられる城でもあります。

そんな小谷城は落城後羽柴秀吉に与えられましたが、秀吉が琵琶湖畔に長浜城を築くと山城としての役割は次第に終わっていきました。江戸時代に城として再利用された記録はなく、現在は国指定史跡として保存されています。

項目内容
場所滋賀県長浜市小谷郡上町・湖北町伊部周辺
築城年大永5年(1525年)頃とされる
築城主浅井亮政とされる
主な出来事姉川の戦い、小谷城の戦い(浅井氏滅亡)
主な城主浅井亮政、浅井久政、浅井長政、羽柴秀吉
重要遺構本丸跡、大広間跡、山王丸跡、大嶽城跡、土塁、堀切、石垣など
別名小谷山城
日本100名城・続100名城番号日本100名城 49番
染井さくら

小谷城は日本100名城49番に選ばれている本格的な山城です。小谷城は秀吉にとって初めて城持ち大名へ出世するきっかけの城だったとされています。そのため小谷城の戦いは浅井家の終わりであると同時に秀吉飛躍の始まりでもあったようです。

どんな城

小谷城地図

小谷城は滋賀県長浜市にある標高約495mの小谷山に築かれた山城です。

山の険しい尾根沿いに曲輪が一直線に連なる連郭式という縄張りが特徴で、麓から本丸に向かって、出丸、金吾丸、番所跡などが階段状に配置されています。

見学スポットしては城の中心部である本丸跡や大広間跡周辺、野面積みの石垣や大堀切など戦国期特有の遺構を間近で観察できます。木漏れ日に照らされる苔むした石垣は見ごたえがあり、歴史を感じられる場所となっています。

また展望スポットからは琵琶湖や竹生島まで見渡せる絶景が広がっていて、桜馬場は春になると桜も満開になり季節を楽しむこともできます。

大和なつき

小谷城は別名「小谷山城」と呼ばれています。これは小谷山の地形を生かして築かれた山城だったことが由来のようです!

小谷城さんぽ

小谷城城内

小谷城城内です。城内へ足を踏み入れると山城特有の静寂に包まれます。木々が両脇に立ち並ぶ中を歩きますが、足元の道はまだ綺麗に整備されています。

かつて浅井氏の兵たちも往来したであろう道を歩きながら、山城の空気感をじっくりと味わえます。

小谷城看板

熊注意の看板です。絵の熊は可愛げがなく心配になる怖い絵ですね。

一般的な野生動物注意の看板はよく見かけますが、クマの文字を見ると一気に緊張感が増しますね。

豊かな自然が残る山城ならではの光景とはいえ、安全な登城のためにもクマ鈴やラジオの携帯など音の鳴る対策グッズの持参はあったほうがいいかもしれません。

小谷城出丸

出丸です。木々が密集した山の中といった雰囲気です。

姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍は織田・徳川軍に敗れましたが、小谷城そのものはすぐには落ちませんでした。小谷城が本格的に落城するのは信長との対立から約3年以上かかりました。それだけこの山城というのは攻めにくかったということなんでしょうね。

小谷城番所

番所跡です。かつて城の出入りを監視した場所ですが、現在は静寂に包まれています。

周囲に他の訪問者の姿も見当たらずこの孤独な雰囲気の中にいると、入り口で見かけたクマ出没の看板をふと思い出して少しだけ不安な気持ちがよぎりました。

小谷城御茶屋跡

御茶屋跡です。本丸へ向かう前の小休止スポットとして、ここで一息入れるのが当時の登城兵たちの定番だったのかもしれませんね。

ちなみに浅井長政とお市はただの政略結婚ではなく、実際に仲睦まじかったという記録も残っています。そのため二人はここで一緒にお茶することもあったのかもしれないですね。

小谷城城内02

城内です。周囲を木々に覆われた山道が長く続いていきます。

本格的な山城の雰囲気を感じますが、足元の土の道は平らにならされており、起伏も少ないため非常に歩きやすい状態が保たれていました。

小谷城桜馬場跡

桜馬場跡です。かつてここで馬の訓練が行われていたようです。春にはその名の通り桜が咲き誇る名所としても知られています。

歩き疲れたタイミングで立ち止まり、休憩をするのにもちょうど良いスペースかと思います。

小谷城大広間跡

大広間跡です。本丸の手前に築かれた小谷城最大級の曲輪です。発掘調査では建物の礎石が確認されており、浅井氏が政務や儀式、家臣との対面などを行った御殿があったと考えられています。

ちなみに浅井長政にまつわる有名な逸話に、織田信長が浅井長政・久政父子と朝倉義景の頭蓋骨を盃にした「ドクロの盃」で正月の宴で酒を飲ませたという話があります。

これは信長の残酷さを象徴するエピソードとして知られ、「魔王・信長」のイメージを強める話として語られてきました。

ただこれは諸説あり「ドクロの盃で酒を飲んだ」という部分は後世に強調・脚色された可能性があると見られています。

首を単に打ち捨てるのではなく、黄金で美しく装飾し丁重に扱うことで、最後まで自らに抗った強敵に対する「最大限の敬意」を示し、その魂を鎮めるという宗教的な意味合い。また手強かった彼らを完全に討ち果たしたという事実を、家臣たちの前で視覚的に示す「勝利のモニュメント」、自らの権力を知らしめる「見せしめ」としての意味合い。これらが本当の理由だったとも考えられています。

どちらにしても強烈な話ですがこの逸話を単なる残酷話として見るだけでなく、浅井家滅亡後に長政の存在がどのように語り継がれていったのかを考えてみると、戦国史の見え方が少し変わってくるのかなとも思いました。

小谷城掘り

堀りです。斜面を大きく人工的に削り落とした、深いV字型の堀切が現れます。

底を覗き込むとかなりの高低差があり、まさに自然の地形を活かした山城の要塞としての険しさを肌で感じられる遺構です。

敵の侵攻をここで食い止めたであろう防御の工夫が、現在の地形からもはっきりと読み取れます。

小谷城本丸跡

本丸跡です。木々の間から差し込む光が歴史の舞台となったこの場所を厳かに照らし出していました。

織田軍の猛攻に対し3年もの間粘り強く持ち堪えた浅井軍ですが、この強固な山城にはある致命的な弱点が存在しました。それが本丸(長政の居所)と小丸(隠居した父・久政の居所)の間に位置する「京極丸」という曲輪です。

羽柴秀吉はその地形の隙を正確に見抜き、夜襲で一気にこの京極丸を占拠。これにより長政と久政の連絡網と退路は完全に分断されてしまいます。

山の尾根伝いに細長く連なる山城特有の「一本道構造」。それが結果的に父子の運命を切り裂き、堅牢を誇った小谷城を落城へと導きました。

城郭の物理的な構造がそのまま人間の悲劇的なドラマに直結している点こそこの場所の最もエモーショナルな見どころなのかもしれないですね。

大和なつき

小谷山は地形そのものを利用した巨大な山城です。本丸・大広間・山王丸・大嶽など、尾根や谷に沿って曲輪が配置され、麓の清水谷には浅井氏や家臣の館跡がありました。戦う城でありながら浅井家の政治・生活の拠点でもあった城だったことをこの散策でも感じ取れました!

城周辺さんぽ

小谷城戦国歴史資料館

小谷城戦国歴史資料館です。残念ながら訪問したこの日は休館日で営業しておらず、中に入ることはできませんでした。

外の案内看板で展示の概要を確認できましたが出土品や模型などが展示されているとのことです。次回はぜひ立ち寄ってみたいと思います。

河毛駅コミュニティハウス

河毛駅コミュニティハウスです。

小谷城の最寄りである河毛駅に併設された史料館で城跡へ向かう前のパンフレット等の情報収集や、レンタサイクルの貸し出しもしています。

河毛駅コミュニティハウス内

河毛駅コミュニティハウス内です。

本来は100名城スタンプは小谷城戦国歴史資料館に置かれていますが、小谷城戦国歴史資料館が休みの場合こちらでも100名城スタンプを押すことができます。集めている方はお忘れないよう気をつけてください。

浅井長政とお市像

浅井長政とお市像です。

兜を被り凛々しい表情の長政と着物姿のお市が並ぶ姿を見ると、二人が辿った数奇で悲劇的な歴史の結末を思い出し、感慨深かったです。

秋月もみじ

今回は食事をしている時間がなかったですが次回はぜひ地元の名産を食べたいです~☆

100名城スタンプと城アクセス情報

小谷城スタンプ
100名城スタンプ設置情報
項目内容
設置場所小谷城戦国歴史資料館(滋賀県長浜市小谷郡上町139)
設置時間9:00〜17:00(入館受付は16:30まで)
休日火曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12/28〜1/4)・臨時休館あり
電話番号0749-78-2320(小谷城戦国歴史資料館)
料金入館料:高校生以上350円、小中学生150円 ※スタンプ押印のみの扱いは事前確認推奨
備考日本100名城スタンプは小谷城戦国歴史資料館に設置。休館日などは代替設置場所が案内される場合があるため、訪問前に最新情報の確認がおすすめです。
城へのアクセス・交通・駐車場情報
項目内容
住所滋賀県長浜市小谷郡上町139(小谷城戦国歴史資料館)/城跡は滋賀県長浜市湖北町伊部ほか
アクセスJR北陸本線「河毛駅」から徒歩約25〜30分/タクシーで約5分
バス季節・運行日によりコミュニティバス等の利用可。運行状況は事前確認推奨
駐車場無料駐車場あり(資料館付近・普通車約30台)
電話番号0749-78-2320(小谷城戦国歴史資料館)
散策時間資料館のみなら約30〜45分。山城の遺構を歩く場合は1〜2時間以上みておくと安心です。
営業時間9:00〜17:00(入館受付は16:30まで)※火曜・年末年始休館
雪村ましろ

小谷城は本格的な山城のため歩きやすい靴と服装は必須です。尚。中腹の番所跡付近までは車で行くことも可能です。

まとめ

小谷城からの眺望

写真は小谷城からの景色です。木々の切れ間から広がるのは、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突した姉川古戦場の展望です。

こののどかな平野を眺めているとかつて長政もこの場所から同じ景色を見下ろしていたのだろうかと思ったりもしました。

さて今回ですが小谷城は華やかな天守がそびえる城とは違い、山そのものに戦国時代の記憶が刻まれたような雰囲気がありました。木々に囲まれた道を進むと、本丸跡や大広間跡、山王丸跡などが現れ、かつて北近江を治めた浅井氏の本拠だったことを実感できます。

また小谷城の大きな魅力は浅井長政とお市の方、そして茶々・初・江の浅井三姉妹ゆかりの地としての歴史を感じられるところです。そのため戦国ファンにとっては外せない一城でもあるかと思います。

そして晴れた日には湖北の町並みや琵琶湖方面を望む景色も楽しめ、歴史旅と自然散策を一緒に楽しめます。戦国の悲劇と浅井家の記憶を今に伝える小谷城。北近江の歴史を肌で感じる山城旅としてぜひ足を運んでみてください。

染井さくら

小谷城は自然が豊かで静かなお城だったね。ここは浅井三姉妹ゆかりのお城だけど、茶々はのちの淀殿、江は徳川秀忠の正室で、徳川家光の母になったんだよね。そう思うと小谷城は豊臣・徳川の時代にもつながる女性たちの原点ともいえる場所なんだなって考えさせられるお城だったな♪

大和なつき

確かに歴史的話が深いお城だよね!日本五大山城に数えられるだけあってお城は山登り感もあったよね。山の地形を活かした守りの堅さがよく分かったよ!

秋月もみじ

山登りは大変だけど自然に癒されるよね!もみじは熊の看板が少し怖かったよ。それに今回は食事もできなくてお腹ペコペコ…。次来たら絶対に焼き鯖そうめん食べて須賀谷温泉でのんびりしたいな☆

雪村ましろ

ふふっ、次は食事もしようね!私も歴史を色々考えさせられたな。浅井長政は「義理の兄である信長を裏切って、旧恩のある朝倉を選んだ」と語られるけど、長政の決起は単なる「朝倉への義理」や「裏切り」ではなく、織田の巨大化によって飲み込まれそうになる浅井家の存亡をかけたものだったとも感じるんだよね。お城廻りだけじゃなく歴史も深いお城だったね。

染井さくら

うんうん!浅井長政は名門大名の御曹司というより、祖父の代から急成長した戦国大名家の三代目だったっていうのもあって色々調べてみると面白いこともあったよね!小谷城の前後のお城は48番長篠城、50番彦根城となっています。お時間あれば足を運んでみてください♪

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